住まい手とつくり手とが一緒になって、家族の幸せのための家づくりをすることをめざします

2013年04月06日

家族旅行@東北


子ども達が春休みということで、2泊3日の家族旅行に出かけてきました。

娘1号が受験生だったため、約一年半ぶりの大イベントです。

ということで、以下とても私的な家族旅行の長文の記録です。
お時間のない方はスルーいただいて!


行き先は東北。
震災後、テレビ・ネット情報・知人の話などで見聞きしてきた2年でしたが、やはり一度は訪れて、子どもたちと共にしっかり見て来なければ…との思いでした。




初日は福島県安達太良山麓のキャンプ場へ。

中間期の平日で、宿泊者は2組のみ。
空模様も曇りで、寂莫感たっぷり。
@フォレスト建物.jpg

実はこのキャンプ場、震災の前の年まで、毎夏訪れていた場所でした。
フクイチからは直線で65km内陸で、震災直後は富岡町の方々の避難所にもなっていました。
ですが、、、放射能汚染度を色分けした地図では、はっきりと汚染が示されている地域内です。

到底、地面にテントを張るキャンプはする気になれず足が遠のいていましたが、愛着あるキャンプ場の今の姿を見たくて出かけました。

キャンプ場では、2年間週に一回の更新頻度で、20箇所での測定線量をホームページで公開していました。

県の施設でもあるためでしょうか、積極的に除染が行われたようです。

我々が泊まった日の線量は、0.09〜0.30μSv/hでした。

Aフォレストリビング.jpg
コテージのリビングが、0.09μSv/h。
ストーブで燃やす薪も、「検査済」と表示されていました。

フィールドに出ました。
Bフォレストフィールド.jpg

落ち葉の撤去や遊歩道表土の入れ替えといった除染で改善されたと説明を受けましたが、我々の住む埼玉県の森に比べると明らかに線量は高いはずです。
が、見た目で全くそれがわからない・・・。

s-画像 074.jpg
春を告げる味覚のふきのとうも、もうずっと誰の口に入ることもないでしょう。

フィールド内にあった見晴し台へは、キャンプ場を訪れるたび登っていました。
C1フォレスト残骸.jpg
地震の揺れで崩れ落ちたそうです。
撤去されることもなく、無残な姿を晒したままでした。


二日目はまず仙台入り。
情報収集のため、せんだいメディアテークへ。

Cせんだいメディアテーク.jpg
伊藤豊雄さん設計の施設です。

ここで、宮城の大小の地図を手に入れ、津波と地震被害の写真展示を見ました。

昼食に仙台名物牛タンを。
D仙台牛タン定食.jpg
東京で食べる牛タン定食と違い、肉が厚くジューシーでした。
付け合せ定番の、テールスープに麦飯、唐辛子の味噌漬けは、仙台が発祥とのこと。

南三陸に向かう途中、仙台宮城野区の仮設住宅地に立ち寄りました。
長屋形式のプレファブ住宅が建ち並ぶ場所は、公園の一角です。
E宮城野区仮設2.jpg
一隅に伊藤豊雄さんが企画実現したコミュニティハウス「みんなの家」が建っていました。
賑々しく使われるときもあるのでしょうが、このときはひっそりとした佇まいで。


雨の中ゆっくりペースの運転で、南三陸の観光ホテルに到着。
客室の目の前が志津川湾です。
養殖の筏やブイがあちこちに浮かんでいます。
若布、タコ、牡蠣、鮭、海苔など、様々です。

ここから眺める限り、津波の傷痕は確認できませんでした。

たくさんのカモメが空を舞っています。
泊り客がやる餌欲しさに、窓のすぐ前にまでやってくるウミネコ。
このあと、娘たちの手から直接スナック菓子をゲットしていきました。
F南三陸旅館.jpg
G南三陸旅館.jpg
中に一羽、ウミネコより一回り大きなセグロカモメが。

このカモメたち、寿命は20年以上。
2年前を憶えているかな…。

翌朝、ホテルが運行する「南三陸語り部バス」に参加。
降りしきる雨の中、語り部の語りに耳を傾けながら、一時間かけて各所を巡ります。

H南三陸.jpg
崩れたままの河口の橋脚

I南三陸.jpg
元は住宅が建ち並んでいたという街区跡。
最近になって基礎まで取り除かれ、「家の片鱗も失くなった」と。

J南三陸.jpg
初めの頃の瓦礫と異なり、今は基礎を壊したコンクリート片ばかりに。

K防災庁舎.jpg
骨組みだけ残った防災庁舎。
この2階で最後まで避難を呼びかけるアナウンスをし続けた町職員の方も、津波の犠牲になりました。

L防災庁舎.jpg
この建物両脇には町役場があったが今は跡形も無く。
避難した防災庁舎の屋上で津波に襲われた職員の方々50余名のうち助かったのは8人だけ…。
屋上を2メートル越える波が来て、摑まっていた手摺ごと流されたと。
アンテナと階段にかじりついていた数名だけが助かったと。地獄です。

庁舎と多勢の職員を流された南三陸町の復興は、他所より遅れているそうです。

バスでの語り部の男性も、自宅を流され、乳飲み子を抱えた奥さんの安否がわかり再会できたのは3日後とのこと。この町が気に入り越してきて4ヵ月後のことだったそうです。
「皆さんにお願いがあります。
今日見たこと、聞いたことを、家に帰ったら周りの人一人にでもいいから伝えてください。
徐々に復興はしていますが、まだまだ道のりは遠い。もういいんじゃない、と終わったことにされるのが心配です。忘れられることが一番怖い。漁業と観光で成り立っていた南三陸町の復興には、皆さんが来てくれることが欠かせません。復興の道のりを見に来てください。風化させないでください」と、切に訴えられました。


南三陸町歌津地区の高台の公園施設内にも仮設住宅地が造られていました。
N南三陸歌津仮設.jpg

ここでもボランティアの手によるコミュニティハウスがありました。
O南三陸歌津竪穴.jpg


栃木県日光市のボランティアグループ「チーム日光」が、仮設の住人の方たちと協働で建設したものだそう。竪穴式住居という他にないスタイルの建物です。
Q南三陸歌津竪穴.jpg

建物の名は「鍵」
P南三陸歌津竪穴.jpg

仮設に暮らすおばあちゃんが話してくれました。「この建物お茶入れられねえしストーブも置けないから冬はあんまり使えないね〜」「でもいい建物だからよく見てってね」と。
「埼玉の高校(甲子園での浦和学院のこと)頑張ってるでねえの。やっぱりここから近い方を応援すっぺよ」と。訪れた日がちょうど決勝前日でした。
近いから埼玉を応援してくれると…。関東は東北の隣のエリアなんだと自覚しました。おばあちゃんと同じ気持ちを持てているか…。


元々商店や住宅が並んでいた街区は野原となっています。
地盤の沈下が大きく、雨の水溜りが消えることが無いそうです。
R南三陸切り紙.jpg
その野原のあちこちに立つ白い看板。
この地に昔から伝わる、各神社が配る切り紙飾り「きりこ」を、大きくしたモニュメントです。
ボランティアアーティストの手により、町やその店ゆかり事柄をモチーフに新しくデザインされたそうです。丁寧に作られたたくさんの「きりこ」、関わった人々の復興に込める熱い思いが伝わってきます。

失われた商店街再生の第一歩として昨年2月にオープンした仮設商店街がありました。
S南三陸さんさん.jpg
南三陸さんさん商店街−復興を担う地元の30業者が集まっているのだそうです。
志津川名産のタコと銀鮭を買って帰りました。


そして石巻へ向かい南下します。

走行中繰り返し出てくる「ここから冠水しました」「ここまで冠水しました」と書かれた真新しい道路標識が生々しく。

内陸に入るとどこにも見られる山村の風景が広がるのですが、ひとたび海に近づき沿岸を走ると風景は一変。
何もなくなるのです。

その中にポツンと残る小学校の校舎。
21石巻市立吉浜小.jpg
石巻市立相川小学校。
津波は屋上を越えたそうで、窓ガラスが全部無く、ベランダの手摺はひしゃげ、体育館の屋根は大きく壊れています。


そして石巻市立大川小学校。
22石巻市立大川小.jpg
児童108人のうち74人、教職員13名のうち10名という、最も大きな犠牲者を出した学校です。
昭和の三陸大津波の時には波が到達することもなく、市のハザードマップでもノーチェックの位置関係であったため、川を遡ってきた波が、避難場所にも指定されている校舎の屋根を越えるなど、関係者の誰もが想像していなかったのだと言われています。

24石巻市立大川小.jpg
震災前の校舎の姿

23石巻市立大川小.jpg
たくさんの花や折鶴が手向けられていました。
もし地震が子どもたちの帰宅後であったなら、、、もし誰か一人でも大人が気付き、山へ逃げようと言ってくれたなら、、、
合掌することしかできません。


石巻市は市庁舎や学校、商店、住宅が建ち並ぶ、町の中心部にも広く津波が押し寄せ、方々で火災が起こりました。

石巻湾から500m足らずの距離にある門脇小学校も、すさまじい波が電柱をなぎ倒しながら押し寄せ、校舎に衝突した車のガソリンに引火し火事が起こったそうです。
25石巻市立門脇小.jpg
焼け爛れた姿の校舎

すぐ隣の墓地では、墓石が倒れたままに…。
26石巻墓石.jpg
墓を守っていた人が亡くなってしまったのでしょうか。

しかしこの学校ではいち早く生徒を裏山に避難させたおかげで、生徒300人のうち、事前に保護者に引渡した子どもを除く275人が無事に津波や火事をやり過ごしたのだそうです。
大川小学校と明暗が分かれたと、繰り返し報道された学校です。


門脇小前の辺り一帯、他の建物が全て無くなっている(残骸も撤去済み)なか、黄色いワンボックスカーが停まる鉄骨躯体だけの建物がありました。

車には「石巻焼きそば味平」の文字。移動販売車です。

丁度昼時、営業しているかと声をかけてみたら恰幅のいいおじさんが現れ、B級グルメで有名になった石巻焼きそばを手際よく作ってくれました。
28石巻味平.jpg

おじさんのお名前は「尾形勝寿−オガタカツジュ」さん。
石巻焼きそばでは有名な方のようです。
焼きそばを焼きながら、以下のような話を熱心にしてくださいました。
・地震のあと、持ち出すものを選んだりしていてすぐに逃げず、波が建物に当たってから驚いて駆け出したこと
・別方向に駆け出し一瞬の後に姿を見失った奥さんは今も行方不明、妹さん遺体で見つかったとのこと
・奥さんと妹に、すぐに逃げようとなぜ言わなかったか、悔やまれること
・門脇小から続く通り沿いに400世帯以上あったが、全部流され、370人が亡くなったこと
・自分も肋骨を折りながら屋根につかまって助かったが、すぐ後ろにいたおばあさんを引き上げてあげられなかったこと
・亡くなった方たちの身元確認や弔いで、やりきれない思いをしたこと
29石巻味平.jpg
・火葬が間に合わず、土中に埋めた亡骸を4ヶ月経って掘り出し、やっとお骨にするしかなかったこと
・復興と言っても、個人では無理なことばかりで、役所のやることは遅々として進まないこと
・仮設住宅の住民は仕事も無く、パチンコ屋は繁盛、ボランティアにやってもらっている仕事を、わずかな報酬でもいいので仮設住宅の住民に宛がうよう市に訴えていること
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そして、「被災地応援の輪を埼玉でも広げてください」と。



最後に立ち寄ったのは、Aが子どもの頃夢中になったという「サイボーグ009」の作者、石ノ森章太郎さんのマンガミュージアム「石ノ森萬画館」。
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震災で大きな被害を受け休館していたが、昨年11月に再開館したとのこと。
津波は1階天井付近まで到達したそうだが、大切な収蔵品は2階以上に置かれていたため難を逃れたという。
これぞ、不幸中の幸いです。

ここでしか見られない「シージェッター海斗」実写版短編映画や、サイボーグたちの実物大フィギアや仮面ライダーのマスク展示に、子ども達(+A)は楽しめたようでした。


30石巻味平.jpg
「今、見て来なければ」との焦りに似た気持ちで、子どもたちを引っ張って出かけた旅でした。
私が下調べした内容を語って聞かせるとき、いつになく熱心に興味深げに耳を傾けていた子どもたち。
でもそれ以上に、現地で見、聞いたことの多くに心を動かされている様子でした。
たった3日間の行程でしたが、今はまだ、見ただけ聞いただけのことが、いつか折々にいろんな形で思い出され、自分を見つめること、他者を認めること、社会を知ることに繋がってくれることを願っています。



posted by katsumi at 01:36| 埼玉 ☔| Comment(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月08日

第6回大平建築塾

今年も、夏の恒例となっている大平建築塾に行ってきました。今年で16年目これだけ長く続くとイベントではなく大平宿に対する運動となってきました。
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今年は昼間は未調査だった民家の建物実測体験、建物をまもるための周辺整備で唐松の伐採、大平の草花山菜観察などを行い、夜は昨年と同じ飯田市の黒田人形座による人形浄瑠璃の公演でした。今年も充実した3日間で疲れましたが、心はリフレッシュさせてもらいました。
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大平は長野県飯田市の南端の山中にある山村宿場です。1970年に集団離村となった後、飯田市民を中心とするボランティア運動で保存再生を図ってきました。その後、1980年に実施された(財)日本ナショナルトラストの「大平宿保存調査」を皮切りに2戸が保存改修され、1993年には「ふるさとづくり特別対策事業」により9戸を保存修復されました。この時保存改修事業に携った生活文化同人が主催で、1995年から「大平建築塾」始まりました。大平宿の保存運動に関り続けるために、民家を積極的に活用しようという主旨で行ってきました。参加者は、2泊3日5棟の民家に分宿し、同じ釜の飯を食い、いろりを囲んで懇親します。詳しくはhttp://sb-jin.seesaa.net/
posted by katsumi at 06:52| 埼玉 ☀| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月20日

八千代座

先週末、熊本で開催されました今年の木の家ネットの総会に参加してきました。今回の総会も熱い討論と見学した建物も盛り沢山で、充実した二日間でした。ご準備いただいた九州の会員の皆様に感謝いたします。総会終了後、個人的にもう一泊滞在し古くからの熊本の友人たちと深夜まで飲み歩いてしまいました。写真は夕日に光る熊本城。
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翌日は熊本県北部の山鹿市(熊本市内から車で1時間程度)にある八千代座を見学してきました。八千代座は、明治43年に建築の江戸時代の伝統的な歌舞伎小屋の特徴を伝える芝居小屋です。平成8年から平成の大修復が始まり平成13年完了、現在は国指定重要文化財となっています。
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この八千代座の職員をしている友人に、復興へ向けての様々な活動話や建物の舞台装置や裏方を案内してもらいました。私にとってあまり馴染みのない施設ではありましたが、古きよき時代を感じさせるすばらしい建物でした。またこのような施設が、現在も活用されている山鹿市の文化に感動しました。
八千代座のマーク:カタカナのチが八つに中心にヨで八千代。
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posted by katsumi at 21:57| 埼玉 ☔| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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